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第78回 歪んだ身体 歪んだ言葉 (藤江一博) 2018年5月

『歪んだ翼 飛べるなら』:

「ディストーション」 "distortion" は音を歪ませるエフェクター(機器)です。

メタラーなロック小僧がエレキギターの音をカッコよくしたいと一等最初に買い求めるエフェクター "Effects Unit" は「ディストーション」 "Distortion" と 「オーバードライブ」"Over Drive" です。
このエフェクターの名称 「Distortion(ディストーション)」をタイトルに冠した楽曲が2018年5月8日に突如リリースされました。
BABYMETAL(ベビーメタル)二年ぶりの新曲です。

前作の「KARATE(カラテ)」に続いて新作「Distortion(ディストーション)」が世界中のヒットチャートを席捲している様子です(過去コラム『 第56回 ベビーメタル 』を併せて御覧下さい)。

急遽配信リリースされた "Distortion"(ディストーション)は、無慈悲にハイスピードで連打されるハイパードラム&ベースのリズムにサビのリフと短い歌声のAメロだけが延々と繰り返される楽曲です。中間部やギターソロもなくテンポの変化も少なく機械的にコーラスとサビだけが繰り返されます。
きっと「さくら学院」重音部の彼女達はライブや学業で忙しく新学期も始まって録音する時間も取れなかったのかもしれません。それとも「神バンド」のギタリスト(藤岡幹大)が急逝されたことでのある意味の追悼かもしれません。趣味の天体観測中に落下して亡くなったそうです。神バンドの中で藤岡幹大の存在は大きいものだったと映像や音からも想像が出来ます。そんな「小神」の喪失感が新曲で表現されているのかもしれません。

他愛無い世迷い言が脳裏を駆け抜けていく移動中にこのリフレインされる楽曲を繰り返し聴いています。
移動時の視聴にはこれまた二年をかけて進化した「アーリン マーク2」 "EARIN M-2" を購入済みです(過去コラム『 第57回 ブンブンサテライツ 』を併せて御覧下さい)。

五月晴れの通勤電車にてベビーメタルのディストーションをアーリンでヘビーローテーションです。

四月号のコラムが見送られたので今回は「さくら」が咲いていた先月に遡ります。

 
 
 
 

『3年B組 金八先生』:

桜が咲きはじめて、四月になりました。
天気が良く暖かさも増して花粉が飛散するくしゃみが止まらない朝の風景。
駅の狭いホームに着くと、ホームからはみ出しそうなほどに多くの乗客が待ち受けています。
何割増しなのかは分かりませんが、新学期になって通勤通学電車の混み方も尋常じゃありません。
新しい職場、新しい学校に向かう人々が大量に鉄の箱に鮨詰め(すしづめ)にされていきます。

同じ電車に乗り合わせた車両で一緒の寿司折に詰め込まれた二人の若者の会話がドアの方向から聴こえてきました。
皆さんが無言で一貫の寿司になって詰め込まれている中、若者は結構大きな声で会話しています。

若者A :「金八先生が言っていた『人という字は、人は人によって支えられ』の意味が分かったような気がするよ。」
若者B :「でも、これじゃ人という字じゃなくて二本の縦棒じゃないの?」
若者A :「ていうか、太い一本の縦線だよ。」
若者AB :「がははは(二人の笑い声)。」

「3年B組 金八先生」は、1979年に放映開始されたテレビドラマです。
舞台となる桜中学校に赴任してきた坂本金八(演じるは武田鉄矢)が薀蓄を交えつつ体当たりで生徒達とぶつかり合いを繰り広げる学園ドラマです。
登場人物の生徒達と同年代(筆者は「マッチ」こと近藤雅彦と同い年)であり、放送初回からリアルタイムで視聴していたために単なる物語としというよりも隣の中学校を見ているようなリアルな感覚があったように思います。

ところで現実に戻りますと電車の中は、二人の会話通りの状況で御座います。
一緒の車両に乗り合わせた彼らはどうやら新入社員研修の会場に向かう途中で、研修のために地方から一時的に東京にやってきたらしいことが会話の端から伺えます。彼らにとっての社会人としてはじめての苦行となる金八先生の旅は、もう少しだけ続くのかもしれません。

春ですね。

花粉の所為で鼻先からは感覚も無く流れ出る水の様な鼻水が止まりません。
両手を動かせないので拭う事も出来ずに鼻水が顔を伝って流れていきます。

 
 
 
 

『おれは侍ジャイアンツ』:

ゴールデンウィークが終り、五月になりました。

通勤電車の混雑度合いは減るどころか先月にも増して過酷さを極めています。
舎利(しゃり)が原型を留めることが出来ない鮨詰めために乗客同士のトラブルが多発して電車は定刻より大きく遅れることがしばしばとなってきました。
そんないつもより早く家を出発したある朝、講習の開始時間に間に合うかどうか心配になってくるほど到着が遅れた通勤電車に無理に乗り込みました。
何とか電車に乗り込めたのは良かったのですが、駅に到着する度毎に通勤に急ぐ乗客たちが乗り込んできます。
車両という名前の立方体として箱の上部には空間が存在しますが、重力に押さえ込まれた箱の底部は人間という肉塊で隙間無く埋め尽くされていて完全に車両の体積を越えた状態です。
弁当のご飯をこれでもかと無理に詰め込んで容器を壊してしまいそうです。
最後の一粒として押し込まれた筆者は金属ドアに正対してリュックを前に抱えた状態で後から強烈に圧迫されたために、海老反りの体勢に体躯の形状が変化しました。
前は金属で後ろからは無慈悲な圧力。身動き一つ出来ず、なすがままの苦役。
歌舞伎で様式的に威圧の表現をするが如く「番場蛮(ばんばばん)」の「海老投げハイジャンプ魔球」が、もうちょっとで完成というこの姿勢で背後からの強烈な加重のために息ができなくなりました。
同時に背骨の下部にある尾骶骨(びていこつ)に繋がる位置の背骨のワンピースが跳び出しそうです。そうでなければ骨が潰れて砕けてしまいそうです。歪んだ痛みが容赦なく切りつけてきます。
この姿勢で魔球を投じるには常人には無理があると理解しました。

時間よ、早く過ぎ去ってくれ。電車よ、早く次の駅についてくれ。そこで誰か降りてください。とそう懇願していました。でも、もう少しで背骨が曲がって折れそうなのです。このままではベインに背骨をへし折られたバットマンの二の舞です(映画「ダークナイト ライジング」"The Dark Knight Rises" より)。復帰に時間が掛かります。

そこで、強度の限界点に近づいた背骨を軸に回転角五度程度、背後からの圧迫が緩んだ機会に少しずつ身体をずらして荷重が掛かる部位を変えていくことにしました。
思いついた作戦を粛々と実行している間に、降車駅の一つ手前に到着すると反対側のドアが開いた様子で乗客が少し降りてくれました。軸に対する負荷としてのせん断荷重が減圧されて体躯を立て直す隙間が出来たのです。
やっとのことで海老投げハイジャンプ魔球の姿勢からまっすぐに立つ正しい姿勢へと戻す機会を得ました。
助かったと思い姿勢を直してみると、まるでバイブレーション設定のスマホに着信があったように上半身がブルブルと勝手に震え出しました。随意筋で構成されている筈の上半身が不思議に勝手に小刻みに震えているのです。横に居た方が気味悪がって訝しげ(いぶかしげ)にこちらを睨んでいます。
ブルブルとゼンマイを巻き過ぎたおもちゃみたいに動く様は、まるで漫画です。歪んだ身体が叫び出しているのです。どうやら長い時間かけて蓄積された背骨に掛かった荷重のエネルギーを一気に放出しているようです。
思いもよらず、エネルギー保存の法則を体感できました。もう少しでもエネルギー量が多く蓄積していれば、材料破壊(背骨がずれる)を起こしていたかもしれません。

我慢もほどほどにしようと考え改めました。

 
 
 
 

『青天の霹靂』:

もう五月も後半を迎えた先日、青天の霹靂の様な訃報が舞い込んできました。

五月十一日の朝、学生時代の友人でバイト仲間の一人が亡くなったと連絡がありました。
連休前に自宅で倒れて意識を失いそのまま帰って来ませんでした。
くも膜下出血を発症したそうです。
遣り残したことが沢山あって現世に未練もあったことでしょう。
内田眞樹が天に召されて安らかにしていることを祈ります。

眞樹とは苦楽を共にしたバイト仲間で筆者の親友のそのまた親友でありました。
上京して学校で友達になった別所の薦めで彼が学生時代に溜まり場にしていた店で二人一緒にバイトを始めたのですが、その後しばらくして眞樹もしょっちゅうバイト先に来るようになって店が跳ねてから皆とビリヤードをよくやっていました。そうして入り浸っている間に引き摺られる様に、後に眞樹も引き込まれてバイトを始める羽目になりました(過去コラム『 第45回 ストリート・オブ・ファイヤー 』を併せて御覧下さい)。

共同作業としての仕事自体は、バイトでは後輩となって入ってきた眞樹と入れ違いになって一緒にシフトに入ることはそんなに多くはなかったのですが、それ以前から吉祥寺の店にはよく来ていましたのでいつも顔を合わせていましたのでよく知っていました。
眞樹は、喜怒哀楽が激しくて注目を浴びるのが好きでサービス精神旺盛で皆を楽しませることだけに心血注ぐのでシフトに入ってもワザと真面目な素振りを見せてお馬鹿な事ばっかりして遊んでばかりでした。そんな底抜けの明るさを表に見せる反面、それでいて器用で凝り性で繊細で気は弱くてすぐにお悩み相談コーナーが休憩時間に始まるような奴でした。

フラフラと考えなしに流れに乗ってしまう行動と馬鹿正直で直球の性格の板ばさみに合ってしまうために、お店にやってきては仕事に入らずに色々なお悩み相談コーナーを親友の別所やバイト仲間たちとするのが欠かせなかったのです。勿論、お年頃だった当時には恋愛について主題となることが多かったと思いますが、悩みは多岐に及びどんなに話し合っても尽きないのです。要するに気の合う仲間とつるんでいることが大事なのです。

彼の名誉のために付記しますとそれは眞樹だけの事だけじゃなくて、仲間のみんながそんな感じで悩み相談会を常に開いている状況です。仲間が居るので一日中ずっとお店に居座っていました。勿論、別所も筆者も学校に全然行かないのに、シフトに入っていなくてもお店にやってきては一日中ずっと居たような気がします。というかずっとお店に居ました。バイト仲間が身内だったし、一緒に入るだけで淋しくなかったし、何より心地良かったからです。

そんな仲間の眞樹ですが、とても多才な奴でした。
学生時代から続けていたバンドではドラムを叩いていて玄人跣(くろうとはだし)の腕前だったので、タモリが司会を勤めるテレビの音楽番組でバックバンドとして出演するほどでした。確かその時には眞樹が見てくれというのでオンエアされたテレビ放送を見たのですが、誰が歌っていたのかは忘れてしまいました。レコード・デビューしなかったのが不思議な程の実力です。

高校生時代から有名だったギタリストの別所雄三とドラマーの内田眞樹の二人とも超が付くイケメンでルックスもテクニックも兼ね備えた自他共に認める最強バンドマンが二人揃うと神々しいばかりです。まるでバーモントカレーのコマーシャルソングを歌う明るい西条秀樹と黙っていればカッコイイ、ファッションモデルが二人並んで居る有様です。見た目もスタイルも都会で育って洗練されていておまけに二人とも運動神経抜群でカッコイイのです。ダメ押しで二人とも笑いが大好きで面白くて人に優しくて非の打ち所が無いのです。
周囲の女子が放っておく筈もなくモテない理由が全く無いのです。

生まれ故郷の旭川から浪人して一年間の下宿生活を過ごした札幌を経由して本州に上京してきたばかりの田舎者の若い筆者(当時)は、同級生ですが一つ年下である彼等二人と正対すると劣等感を抱かずにはいられませんでしたが、妬み嫉みは不思議とあまりありませんでした。
きっと、種族が違うと感じたからなのだと思います。サピエンスがはじめてネアンデルタール人を見た時のような感じに近いのかもしれません。

バイト卒業して後、眞樹とは自然と疎遠になってしまい連絡をとっていませんでしたが、離れても仲間の皆それぞれが元気で過ごしてくれて居れば良いという感覚です。それに仲間からの話で活躍していることは伝え聞いていました。どうやらセンスの良さを生かしてグラフィック・デザインの仕事で生計を立てている噂を聴いていました。近年ではプロカメラマンに鞍替えして活躍していたそうです。どうやらゴルフ専門のカメラマンらしくてその道ではちょっとした有名人だったみたいです。

元々組織に属するタイプではないのでフリーで食い繋いでいたのだと思いますが、その過酷さが先立った原因なのかもしれません。

 
 
 
 

『残された人びと』:

かなり以前の事ですが思い返したことがありました。
弊社のユーザー様向けに刊行していた機関誌 "New Wave" に筆者がたびたび記事を寄稿していた時に、原稿の体裁や冊子の編集をして頂いたフリーのデザイナー木村さんやエディター笠原さん達と一緒に紙面を製作していました。制作にはフリーのライター関さんというとても真面目で博識な方もいらっしゃいました。

その機関紙紙面に拙作の記事を掲載して頂く際、生意気にも筆者はデザイナーさんにこんな絵を入れて欲しいとフォトショ (Photoshop) で自作の画像を創って掲載してくれと困らせてしまったようです。筆者は困らせていることに気が付いていません。でもそんな我儘(わがまま)も木村さんは聴き入れてくださいました。プロのデザイナーが藤四郎(とうしろう)が創ったへたくそな絵を上手に紙面に載せてくれたのです。超過料金をお支払いする訳でもなく大したお金にもならない仕事にちゃんと誠意を見せて仕事をなさる姿勢に感動しました。筆者の拙い記事に対する想いを汲んでくれるそんな優しい方でした。
紙面が出来上がった後、お二人とお逢いする機会を獲ました。メールのやり取りではなく実際にお顔を拝見すると、デザイナーの木村さんは筆者よりもかなり年上でちょっと気難しそうな風貌です。怒らせたら恐いだろうなとメールでやり取りした今までの言動を振り返りまして少し反省(恐怖)しました。エディターの笠原さんは同年代で気の良さそうな人懐っこいお方でした。どうやらちょっとお調子者みたいです。「ちょちょら」様なのかもしれません。

お逢いして一緒に食事をさせて頂いた後も何気なしに気が合って三人で新宿の街にくりだして超渋いバーで語り合ったことを想いだします。二人に導かれるまま入ったお店には古ぼけた招き猫がいっぱいあってジャズがBGMで流れていたように想います。確か「サムライ」というお店の名前だったと記憶しています。もしかすると木村さん馴染みのお店だったのかもしれません。
サムライで招き猫に囲まれながら色々会話が弾む中で「ボヘミアンみたいだね。」と筆者に向けて呟かれた言葉が今でも脳裏に焼きついています。
「ボヘミアン」と言われても「葛城ユキ」か「クィーン」"Queen" の楽曲名くらいしか連想できないので、何故に後進の筆者を「ボヘミアン」と擬えて下さったのか木村さんの意図が汲めませんでした。それにどの文脈で登場してきたフレーズだったのかも全く忘れてしまいましたが、もしかすると筆者が根無し草の風来坊に見えたのかもしれません。ボヘミアンが意味するのは謎のままです。

新宿でお逢いしてから暫くして木村さんが急逝されたことを伝え聞きました。
その知らせに驚いたのと同時にもしかすると過労が祟ったのかなと思い巡らせました。
その身一つで生業を立てるには、次に仕事が入るのだろうかと心配になるために過度に仕事を引き受けざるを得ないことは想像に違わないでしょう。孤独のグルメで松重豊が演じる五郎さん(井之頭五郎)が「俺みたいな自営業者は、暇ほど怖いものはない。」と言っていたセリフを思い出します。
身を削り自転車操業を続ける環境で学費を心配させないためにという配慮もあったかもしれません。まだ大学に在学中のお子さんも居たのです。心配事と未練がこの世に山ほどあったことでしょう。

フリーで仕事をされるのは、どんなに肉体的精神的に過酷なのかを思い知らされました。

 
 
 
 

『チキンライス』:

マキのことで何故かたびたび思い出す出来事があります。
あいつがバイト先に新しい彼女を連れてきた時のことです。
厨房(キッチン)にいた俺は灼熱地獄のオーブン前で油まみれの汗だくで調理をしていました。
いつもの様に店は混んでいましたが、夕刻くらいの時間帯であったのでまだ少しは余裕もあったように想います。厨房の外から声がかかります。

「トム。トム。トム。」

そんないつもの風情の中、マキが厨房を覗き込める配膳口にきて身を乗り出して話しかけてきました。

「チキンライス作ってくれない。」

メニューに無い「チキンライス」を出せと請うのです。
マキは連れてきた新しい彼女の好き嫌いがどうのこうのという説明(言い訳)があってから、オーダーは店のメニューの「鶏チャーハン」で注文するけど「チキンライス」を出してね、という作戦らしいのです。
サプライズが大好きなマキのことです。ここでバイトしている特権を発動して融通が利くのだと新しく出来た彼女にちょっと良いところを魅せたい、そんな感じの目論見だろうと理解しました。

「いいよ。」

と軽く返事しました。
短い返事が終わる前に厨房から僅かに覗ける店内でホールのどこかに座っている遠く方向に視線を向けていました。
どんな彼女なのか気になったのです。でも隔離された厨房からでは遠くて暗くてよく見えませんでした。

それとマキが唐突に厨房にやってきたのは珍しいことでした。
なぜかちょっと遠慮して距離を置いているような関係性だったので、俺に直接頼みごとをすることは滅多になかったのです。その理由はよくはわかりませんでしたが、バイトでは先輩だったからかもしれないし、それに一つ年上だったからかもしれないし、別所を介した関係がたぶん微妙だったのかもしれません。
何となくですが、兄弟姉妹の二親等じゃなくて従兄弟姉妹の四親等な感じの距離感です。

頼みごとを引き受けてから少し店が混み出してオーダーが立て込んできました。
バイト復帰後で新しいレシピに不慣れな俺は、何とか遅延なくこなそうと必死になっているうちにすっかりチキンライス作戦の件をすっかり忘れてしまっていました。
それに脳内で「チキン」==「鶏」とオーブンの熱によって英日語句の自動変換が作用したのだと思います。
ですからマキの注文がどれなのかも気づかずに、オーダー通りにどこかで「鶏チャーハン」を出してしまった様なのです。
「しまった」と頼まれたことを思い出したのは溜まったオーダーを片付けてかなり時間が経ってからです。

マキと新彼女はだされた「鶏チャーハン」を黙って食べていたように想います。
ここからの記憶が曖昧でもしかすると自分で改竄しているかもしれません。
二人の帰り際にマキが厨房に不平を言いに来たように思います。
マキは相手を責めるようなことはめったに言わないですが「チキンライス」じゃなかったよ。」と告げただけだったと思います。正直に、たぶん少し不満顔で。

「ごめん。」

というのがやっとだったと思います。
申し訳なさ過ぎてマキの目を見られなかったと思います。定かな記憶ではありません。
もしかすると言葉が歪んで届いてなかったかもしれません。言葉が音として出ていなかったかもしれません。謝ったのが相手に伝わってなかったかもしれません。意地悪したと受け取られたかもしれません。

この出来事は彼にとって取るに足らない程度の事だとは思いますが、わざわざ俺に頼んでくれた後方支援を快く引き受けたつもりだったのに、まったく援護射撃を出来ないどころか奴がカッコつけたつもりが逆に恥をかかせてしまうことになったと思うと、あまりに申し訳なくて無力感に苛まれました。
役に立たなくてゴメン。

奴がかっこ付けたかったんじゃなくて、俺がかっこ付けたかったんだ、きっと。
それが理由で記憶の中で心のどこかで、ささくれ立って刺さっているのです。
ほんとうにつまらないことですがそんなつまらないことを、幾度となく忘れてしまっては何度も思い出します。

 
 
 
 

『宇宙(そら)よりも遠い場所』:

訃報を聴いた後、五月十三日の日曜日に新宿の斎場でお通夜が執り行われると連絡がありました。
ですが眞樹とは縁遠くなって久しいこともあって通夜には行きませんでした。
それにきっと大泣きして周りにご迷惑をおかけするからです。

もしかするとあいつまだ自分が死んじゃったこと気づいていないかもしれません。
通夜の日は午後から荒天となって大雨になりました。
気が付いた眞樹が大泣きしていたのかもしれません。

 
 
 
 

自分に残された時間はあまり多くはないのだと感じました。時間は誰にも平等です。
たぶん心残りは尽きないでしょうが、やりたいことはやっておきたいなと想います。

 

次回をお楽しみに。

 


 

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