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第98回 僕だけがいない街 (藤江一博) 2020年5月

鼠色がかった少し薄い青空。
凛と張り詰めた冷たく凍てついた空気。
上空で結晶となってしんしんと降り積もる粉雪。
白と赤のストライプで装飾された高い煙突から塊で吐き出される灰色の煙。

粉雪が降り積もる音と朝の忙しない匂いにゆっくりと包まれることで、あの頃が再上映されていく。

 
 
 

『再上映(リバイバル)』:

時は、二〇〇六年。

主人公「藤沼悟」(成人役:「古川雄輝」)は、一九七七年三月二日生まれなので二〇〇六年五月現在で二十九歳になりました。
北海道出身の藤沼悟は上京して千葉県西船橋市に住みつき、売れない漫画家家業の傍ら宅配ピザのバイトで生計を立てています。

藤沼悟が普通と違うのは、「再上映(リバイバル)」と呼ばれる特殊能力によって自分の意思とは関係なく少しだけ過去にタイムリープしてしまう能力を持っていることです。
「再上映(リバイバル)」という特殊能力が勝手に発動するタイミングは、能力発動直後に起きる「悪いこと」を回避するために、少しだけ過去に戻って対処してくださいという特異な体質なのです。

この特殊能力ですが、どうやら彼自身にとっては何の得にもならない様子です。

二〇〇六年五月某日、上京してきた藤沼悟の母である「藤沼佐知子」(黒谷友香)が悟の自宅アパートで刺殺されます。
悲しみに暮れる間も無く、藤沼悟は真犯人によって濡れ衣を着せられて被疑者となってしまいます。

悲しみと不条理が交錯しながら逃げ惑う藤沼悟の心中で爆発した慟哭によって「再上映(リバイバル)」が発動します。
時は十八年前の過去、場所は故郷の苫小牧に小学五年生の「藤沼悟」(少年役:「内川蓮生」)へ時間と場所を逆行して大幅に跳躍してしまいます。

一九八八年二月十五日、誕生日である三月二日を目前に控える小学五年生の十歳に戻った藤沼悟は、母親殺害に至る発端であるかもしれない「何か」を探し出さなければなりません。
その「鍵」と思しきは、脚に打撲の痣がある同級生「雛月加代」(少女役:「柿原りんか」)だと気づきます。

「雛月加代」が「鍵」であるとすると「事件」は、十八年前の昭和六十三年に苫小牧で起きた「小学生連続誘拐殺人事件」。

母親が惨殺されるのを回避するために小学五年生の「藤沼悟」は、無慈悲な連続殺人鬼、シリアルキラーと対峙せざるを得ないことになりました。

 
 
 

『私だけがいない街』:

学級文集に雛月加代が書いた作文が、「私だけがいない街」です。

 
 
 

今よりもっと大きくなって
一人でどこへでも行けるようになったら

遠い国に行ってみたい
遠い島に行ってみたい
誰もいない島に行ってみたい
つらいことも悲しいこともない島に行ってみたい

島には大人も子供もクラスメートも先生も
お母さんもいない

その島で 私は
登りたいときに 木に登り
泳ぎたいときに 海で泳ぎ
眠りたいときに 眠る

その島で 私だけがいなくなった街のことを考える
子供はいつものように 学校に行く
お大人はいつものように 会社に行く
お母さんはいつものように ご飯を食べる

私は 私だけがいない街のことを考えると 気持ちが軽くなる

遠く遠くへ行きたい

 
 
 

藤沼悟は、文集読んで雛月加代の「SOS」だと気が付きます。

 
 
 

『僕だけがいない街』:

「僕だけがいない街」"Erased" (The Town Where Only I Am Missing) は、「三部けい(三部敬)」による漫画です。

物語の発端となっている北海道苫小牧市は、作者である三部敬の故郷みたいです。
月刊少年漫画誌(ヤングエース)に掲載されて二〇一二年から二〇一六年まで連載されました。
原作は連載中から注目を集めて小説、テレビアニメ、映画化がされたそうです。
特に映画版では、主演「藤原竜也」、共演「有村架純」と豪華な配役で実写化されたそうですが、原作とは異なるストーリーになっているようです。
これは原作である漫画が連載中であったために未だ物語が完結していない事に起因します。
ですから、テレビアニメ版や映画版では物語に独自解釈を加えて少し違うお話が展開している様子です。

原作漫画を含めて、アニメも映画も観ていません。
筆者が観たのは、ネットフリックス制作のテレビドラマ(実写版)です。

このテレビドラマ(実写版)は、二〇一七年年末から配信されました。
テレビドラマ版だけが原作が完結した後に制作されました。
監督の「下山天」は「原作の完全な映像化」を掲げて創られたのだそうです。
ですからロケも北海道のシーンでは実際に苫小牧で撮影が行われるほどに、原作に忠実に描かれているらしいです。

本当に原作に忠実なのか?映画やアニメなど別バージョンはどうなの?といった比較めいた事は説明できません。
ですが、テレビドラマ版はとても良いコンテンツだったことは視聴者である筆者が一気に見終えたことでご理解いただけると思います。

 
 
 

『新世紀エヴァンゲリオン』:

テレビドラマ版で物語に惹き込まれた要因は、映像の美麗さと配役にあります。
特に過去の北海道に戻った小学生達に感情移入してしまったからです。

主役の「藤沼悟」の少年時代を演じるのは「内川蓮生」です。

彼の必至さが伝わってきますが、青年時代を演じる「古川雄輝」の寡黙さとのギャップが面白いです。
それと最初のリバイバルで失敗した藤沼悟の心の声で「もっと踏み込まなきゃ」という台詞が何度も何度も繰り返されますが、まるで「碇シンジ」の「逃げちゃだめだ」という台詞に聴こえてきました。

テレビドラマ版ヒロインの同級生で最初の被害者になる「雛月加代」は、少女時代を「柿原りんか」が演じます。

親から虐待を受けて、いつもひとりぼっちでいる寡黙な「雛月加代」は、「バカなの?」が口癖です。
「バカなの?」は、まるで「アスカ」(惣流・アスカ・ラングレー)のような台詞ですが、悟に対する加代の言い方はまるで「レイ」(綾波レイ)のようにつぶやきます。

柿原りんか演じる「雛月加代」は、リバイバルしてきた「藤沼悟」によって少しずつ心を開いて「綾波レイ」から「惣流・アスカ・ラングレー」へと移ろうとしているかのようにも思えます。

そしてこの「バカなの?」というフレーズは、バイトの後輩女子高生「片桐愛梨」(優希美青)に血脈相承されます。「片桐愛梨」も別の「アスカ」なのかもしれません。

子役ではありませんが、現在、過去の全編を通じて登場する藤沼悟の母である「藤沼佐知子」(黒谷友香)が大きな存在です。
母親として息子の藤沼悟を信頼し息子の友達を大きな母性で見守る存在であり、とぼけた調子を普段は見せながら洞察鋭くピンチには背後から支える姿は「葛城ミサト」と重なります。

ドラマの最終盤のシーンで藤沼悟のヒット漫画作品だと思われる「新世紀ユウキ」のポスターが事務所の壁にはってありました。

テレビドラマだけでなく原作からそうなのかもしれませんが、「新世紀エヴァンゲリオン」のキャラクターが投影されているようにも思えました。

 
 
 

『したっけ』:

藤沼悟がリバイバルして小学生に戻った苫小牧の劇中では「したっけ」が連呼されます。

北海道出身の方々は、このシーンの会話に違和感を覚えるかもしれません。

これは北海道で「したっけ」という語彙は当たり前に使われていまして「したっけ」は順接、逆接、並列、天下、対比、選択、列挙、説明、補足、万能、換言、例示、教示、変転、転換、結論、すべての機能を持った万能の接続詞です。
ですから、よく使われるのは間違いないでしょうし北海道弁というのがあれば代表格となるのでしょう。
ドラマ内の台詞では「じゃあね」の意味などの挨拶に「したっけ」も使えますが、実際はあまり使わないかもしれません。
北海道弁らしきものを強調したいという演出かもしれません。

他にも「なまら美味い」という用法で「なまら」という副詞はよく使うようには思います。
語尾に「~さー。」というのも使ったように思いますが、「~だべさー。」とはあまり言わないかもしれません。

筆者も中学、高校生くらいの時には、口癖になるような言葉もあったと思うのですが忘れてしまいました。
それにあまりに昔のことしか知らないので、現在の北海道とはちょっと違うかもしれません。

北海道民の会話について詳しくは、「水曜どうでしょう」で「大泉洋」たちの会話を聴いていただければよいかと思います。

テレビドラマでは過剰にすることで北海道という場所を強調している演出であると考えます。
劇中の大事な台詞で「したっけ」が使われますが、そのように視聴して頂ければ幸いです。

 
 
 

『走馬灯』:

惹かれるのは冬の風景、北の国から聴こえてくる厳寒さと広大さの景色。
薄っぺらい壁、二重にすらなっていない窓、簡素な市営住宅に住み厳寒の北海道を過ごすには辛いものであることが、映像からもわかります。
氷点下二十度にもなる冬を凌ぐのは生易しいことはないです。

筆者は登場人物よりちょっと前の時代で、苫小牧ではなく生まれ故郷は旭川です。
同じ故郷である北海道で生まれ育った筆者には冬の厳格さが映像からよく伝わってきます。

旭川にもモクモクと煙を出す高い煙突のパルプ工場がありました。
そして、小学校の同級生に「加代ちゃん」がいました。
筆者の同級生の「加代」ちゃんは、「笑美ちゃん」と二人の一卵性双生児でした。
雛月加代が藤沼悟と同じ誕生日で、悟の家で誕生日会を開いてもらった時に「プレゼント、間に合わんかった。」と加代が申し訳なさそうに言うのを聴いて思い出したことがありました。

貧乏な筆者が小学校に入って初めて友達の誕生日会というのに行って、誕生日会の華やかで美味しいご馳走にびっくりして、誕生日会にはプレゼントを持っていくという習慣を知らなくて、主賓になじられて恥をかいて、その帰り道に大きなトラックが横を通って自転車ごとドブ川に落ちたことがありました。
その時は無知が故に然程(さほど)気にしてなかったとは想いますが、想い出すとなんだか悲しくなりました。

そんな個人的な記憶の類似点もドラマに引き込まれる要因になったのかもしれません。

 
 
 

『シャイニング』:

映像についてですが、テレビドラマと言えないほどに監督が拘っただけあって、撮影する映像のアングル、街の景観を映し出す彩色が綺麗で物語の中に引きずり込まれます。

街の風景を映し出す俯瞰した映像は、ちょっと「ブレードランナー」"Blade Runner" の酸性雨が降る夜の街を彷彿させるようなアングルで(ブレードランナーはミニチュアですが)、苫小牧の朝と思しき景色が中間色をくっきりと映し出している映像の美しさだけでも素晴らしいものです。

ストーリーについてはテレビドラマも原作の設定と同じだと想いますが、主人公「藤沼悟」が大人の記憶を持ったまま子供の体躯で敵と立ち向かうというのは、「名探偵コナン」の江戸川コナンこと工藤新一を彷彿させます。
それに「再上映(リバイバル)」で何度も困難に立ち向かうというのは、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」"Edge of Tomorrow" (Live Die Repea) や「ミッション: 8ミニッツ」"Source Code" などの所謂「ループもの」です。
そういった設定を物語にちゃんと組み込む事でSF然としたものではなく、ドラマとして成立させているところも好感が持てます。

ところで、良い作品なので何度も映像化されているとは想いますが、おそらく決定版である筈の映画化後に再度ドラマ化するなんて「スティーブン・キング」"Stephen King" がちょっと入っているかもと思い出しました。

名匠「スタンリー・キューブリック」"Stanley Kubrick" が解釈した(ほぼ別作品となった)素晴らしい映画「シャイニング」"The Shining"" を、原作者であるスティーブン・キングは大層お怒りになって自ら原作通り映像化を果たして四時間半というちょっと冗長なドラマにしたことがあるのです。
「スティーブン・キング」の長尺ドラマ版を観ましたが、寧ろ「キューブリック」映画版が素晴らしいことを強調されただけでした。

でもこの「僕だけがいない街」は、アニメも映画も観ていないし原作すらも読んでないので、原作通りとか違うなどとは何も言うことはできませんが、このテレビドラマ版は素直にすごく良いと想います。

そうしてこの全十二話の連続ドラマというよりも六時間に及ぶ長編映画を見終えました。
このあと機会があれば原作の漫画やアニメ、それに「藤原竜也」主演の映画も堪能してみたいと想います。

巣ごもりの日々がもう少し続くと思いますが、気が向いたら気晴らしにご覧くださいませ。

 
 
 

『未来』:

本号を持ちまして定期連載は一旦休止させて頂こうと思っています。
長い間、拙い独り言にお付き合い頂きまして誠に有難うございました。
今後は機を見るに敏を纏うが如く掲載をさせて頂ければと願っています。
また近いうちにお逢いできるのを楽しみにさせて頂ければ幸いです。

 
 
 

雪が景色を真っ白に塗り変えていく。

未来はいつも白紙だ。

自分の意志だけがそこに足跡を刻める。

 
 
 

「したっけ、また明日。」

 
 
 

 


 

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