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第97回 インスタント・カーマ (藤江一博) 2020年4月

「『インスタント・カーマ』っていうのは、思いつきとしては『インスタント・コーヒー』と同じようなものだよ。」

 - 「ジョン・レノン」"John Lennon" のインタビュー記事より。

「インスタント・カーマ(インスタント・カルマ)」"Instant Karma! (We All Shine On)" は、一九七〇年に「ジョン・レノン」"John Lennon" が「プラスティック・オノ・バンド」"Plastic Ono Band" 名義で発表したシングル曲です。

 

 

ジョン・レノンは、この楽曲「インスタント・カーマ」"Instant Karma! (We All Shine On)" を一日間で創り上げました。

ジョンが朝起きてすぐピアノの前に座り一時間ほど弾いて曲が出来上がると、忘れないように何度も繰り返し演奏しました。午後になるとスタジオを予約して今度は「ジョージ・ハリスン」"George Harrison" を筆頭に馴染みのミュージシャンたちに「素晴らしい曲ができたから、レコーディングしよう」と声を掛けて呼び集めます。リハーサルを済ませて夕方からレコーディングが始まります。今度は「シングルとしてリリースしたい」とピアノに厚みをつけると、次にコーラスを押し上げるために近くのクラブに居た客に声かけてスタジオまで来て貰いセッションに参加して貰いコーラスに厚みができ、エコーを追加して楽曲が完成しました。たった一日間で全て行ったのです。

この歴史的な日は「一九七〇年一月に二十七日」"January 27th, 1970" の事です。

ジョン・レノンはインタビュー記事でこのように回顧しています。

"Everybody was going on about karma, especially in the '60s, but it occurred to me that karma is instant, as well as it influences your past life or your future life. There really is a reaction to what you do now. That's what people ought to be concerned about. Also, I'm fascinated by commercials and promotion as an art form. I enjoy them. So, the idea of instant karma was like the idea of instant coffee: presenting something in a new form. I just liked it."

- The Story Behind The Song: 'Instant Karma!', John Lennon's one-day wonder

「僕が思い浮かべていたのは、業(カルマ)は、インスタント(瞬時に出来上がる)ってこと。
 カルマが過去や未来の人生に影響するものだとすれば、今この瞬間にも存在しているはず。
 君が今何か行動を起こせば、そのリアクションが実際に生まれる。
 みんなそれについて考えなきゃいけないんだ。
 だからインスタント・カーマのアイディアは、インスタント・コーヒーと似ているし
 何か新しい形で表現できるじゃないかと考えたんだ。
 そういうのが好きなんだ。」

ジョンがイメージした「インスタント・カーマ」"Instant Karma!" は、タイトル通りにシンプルでパワフルに完成しました。
そしてわずか十日後の一九七〇年二月六日にリリースという超特急で発売されました。

このリリースの二ヶ月後、相棒である「ポール・マッカートニー」"Paul McCartney" が脱退を言い出す直前であり、
一九七一年三月二十一日に「ビートルズ」"The Beatles" が正式に解散する約一年前の出来事でした。

 

 

そうして「ビートルズ」"The Beatles" 末期からソロとして活動し始めたジョン・レノンですが、「インスタント・カーマ」"Instant Karma!" の後続シングルの計画もあったのですが、結果的に「インスタント・カーマ」"Instant Karma!" が「プラスティック・オノ・バンド」"Plastic Ono Band" 単独名義としては、最後のシングル・リリースになりました。

「インスタント・カーマ(インスタント・カルマ)」"Instant Karma!" 以降は、"John Lennon / Plastic Ono Band" 或いは、 "John & Yoko/Plastic Ono Band with the Harlem Community Choir" など長い名前や単に "John Lennon" とした色々な名義で後続のシングルはリリースされることになります。

これは「プラスティック・オノ・バンド」"Plastic Ono Band" というコンセプトがジョンとヨーコの二人以外は、その時々で流動的メンバー(「エリック・クラプトン」"Eric Clapton" 等、豪華メンバー)で構成される自由な形態だったのです(エリック・クラプトンとジョージ・ハリスンの関係については、『第64回 さよならレイラ』を併せてご参照ください)。シングル・リリースの際に「ジョン・レノン」"John Lennon" というネームバリューを生かして皆に聴いて貰おうと、初期の前衛的な音楽スタイルから、強力なメッセージを前面に出して訴えかけるような楽曲へと、そしてジョン自身のルーツを遡るように原点回帰のロックンロールやバラードへと楽曲そのものが変化していく過程で自然と名義も変わっていったという流れなのでしょう。聴衆に向けて発する音楽はジョンの気持ちの変化と共に、発表スタイルを自然と変化させていったのだと想像されます。

勿論、ビートルズ解散の影響が大きくあったことが理由の一つでもあったと思います。

ジョン・レノンがソロとしてリリースした主なシングルを順番に並べてみました。

01.「ギヴ・ピース・ア・チャンス(平和を我等に)」"Give Peace a Chance" - 1969 release
02.「コールド・ターキー(冷たい七面鳥)」"Cold Turkey" - 1969 release
03.「インスタント・カーマ(インスタント・カルマ)」"Instant Karma!" - 1970 release
04.「マザー」"Mother" - 1970 release
05.「パワー・トゥ・ザ・ピープル(人々に勇気を)」"Power to the People" - 1971 release
06.「イマジン」"Imagine" - 1971 release
07.「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」"Happy Xmas (War Is Over)" - 1971 release
08.「女は世界の奴隷か!」"Woman Is the Nigger of the World" - 1972 release
09.「マインド・ゲームス」"Mind Games" - 1973 release
10.「真夜中を突っ走れ」"Whatever Gets You thru the Night" - 1974 release
11.「9番目の夢(夢の夢)」"#9 Dream" - 1974 release
12.「スタンド・バイ・ミー」"Stand by Me" - 1975 release
13.「スターティング・オーヴァー」"(Just Like) Starting Over" - 1980 release
14.「ウーマン 」"Woman" - 1981 release

当初の "Plastic Ono Band" から名義を変えて、"John Lennon/Plastic Ono Band" としてリリースされた最初が「マザー」"Mother" です。

原初療法によって心の奥底から引き出されたジョン自身の幼少時代の生まれ育ちを思い出して、トラウマとなっているジョンが内省的に抱えている母親と父親に対する感情を吐き出す様に歌っています(過去コラム『第69回 デニム・アンド・マザー』を併せてご覧ください)。
ジョンが実の父親と母親から離れて、母親の姉である「ミミ伯母さん」"Mimi Smith and George Smith" 夫妻に育てられた(当時は珍しくない)環境によるものです。

ジョン・レノンの生い立ちにご興味があればですが、ジョンの妹である「ジュリア・ベアード」"Julia Baird" が「私たち家族の記録をきちんと記しておきたい」と書き記した本を執筆しています。
若き日のジョンが葛藤する様子が描かれているのですが、この本は現在廃盤となって入手困難となっております。
替わりにと言う訳では無いですが、この本をプロットにした「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」"Nowhere Boy" というタイトルで二〇〇九年に映画化されています。機会があればご覧ください。

 

 

紹介している「ジョン・レノン」"John Lennon" は、「ビートルズ」"The Beatles" のメンバーです。
登場した際には「害毒」と称された「ビートルズ」"The Beatles" が、世に齎した影響は計り知れません。
これは音楽だけに留まらず世代の垣根を跳び越えて、知らず知らずに脈々と影響を受け続けていくことになりました。
その「ビートルズ」"The Beatles" としての実質的活動期間はたったの「十年間」です。
四人がどれほどのエネルギーを集結することで結実した形を昇華させるために流れた濃密な時間をどのように葛藤しながら過ごしたのかは想像すらつきません。

ビートルズと同時代を過ごした若者たちが熱狂の渦へと巻き込まれたことは容易に想像ができますが、その生き証人の一人が(筆者の)師匠です。
師匠である「井澤信悦」は、「ビートルマニア(ビートルズマニア)」"Beatlemania" と呼べる位に熱狂的信奉者であります。
音楽の話になる必ずビートルズは登場してきますし、師匠と一緒に六本木のコピーバンドのライブにも連れて行ってもらいました。
ですが師匠と弟子は一世代ほど年齢が離れていますので、不勉強な弟子の方は「ビートルズ」"The Beatles" の衝撃波をオンタイムでは浴びておりません。
弟子(自分)は、ビートルズよりもソロとしての「ジョン・レノン」"John Lennon" の印象が強いです。

故に、巨大な看板である「ビートルズ」"The Beatles" というバンドメンバーではなく、ソロとしての「ジョン・レノン」"John Lennon" に着目してみました。

こうやって改めて「ジョン・レノン」"John Lennon" ソロ活動の軌跡を時系列に並べてそれを順番に聴いてみると不思議と「ジョンの魂」というか、彼の気持ちの変遷が雰囲気に過ぎないのですが少しだけ分かるような気もしてきました。
不思議です。

 

そして、最後のシンングル・リリース「ウーマン 」"Woman" は、ジョンの死んだ翌年(一九八一年)にリリースされました。

これは一九八〇年十二月八日、インタビューでのジョンの発言です。

"Yeah, to have a... I was saying to someone the other day, there's only two artists I've ever worked with for more than one night's stand, as it were: Paul McCartney and Yoko Ono. I think that's a pretty damned good choice. Because, in the history of the Beatles Paul met me the first day I did Be-Bop-A-Lu-La live onstage, okay? And a fr... a mutual friend brought him to see my group, called The Quarrymen. And we met, and we talked after the show and I saw he had talent. He was playing guitar backstage, and doin' Twenty-Flight Rock by Eddie Cochrane. And I turned around to him right then on the first meeting and said, 'Do you wanna join the group?' And he went, 'Hmmm, well, you know... ' And I think he said 'yes' the next day, as I recall it. Now, George came through Paul, and Ringo came through George, although of course I had a say in where they came from, but the only person I actually picked as my partner - who I recognized had talent, and I could get on with - was Paul. Now, twelve, or however many years later I met Yoko, I had the same feeling. It was a different feel, but I had the same feeling. So, I think as a talent-scout I've done pretty damned well!"

- John Lennon's last interview, December 8, 1980

「いままでで一晩以上一緒に仕事をしたのは、ポール・マッカートニーと小野洋子のたった二人だけだ。それはすごく良い選択だった。」

ジョンらしい率直なのか遠回しなのか分かり辛い言い回しですが、「人生の相棒は自ら選んだ二人だけ」で「その二人とも最高だった」とインタビューの中で独白しています。
これが期せずして最後のインタビューになりました。
このインタビューの直後、ジョンは自宅アパートの前で前触れもなく突然、天国へと召されました。
一九八〇年十二月八日が「ジョン・レノン」"John Lennon" という一人の人間に対して最後のインタビューでした。
ビートルズが解散して十年後、ジョンはこの世からも去ってしまいました。

(この記事はジョンの最後にインタビューを聴きながら書きました。)

次回をお楽しみに。

 


 

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